私は有難いことに超がつくほどのど安定企業に約10年に渡り勤めてきましたが、この度転職することにしました。転職の決意に至った経緯をお伝えできればと思います。
- 「自分自身」の捉え方の変化
- 薄々感じていた現職とのすれ違い
- シゴデキ新任上司からの言葉
「自分自身」の捉え方の変化
皆さんは「自分自身」をどのように捉えていますか?
私は大人になって多様な情報を知ったことによって、自分自身の捉え方を「出来ないやつ」から「出来るやつ」に変えることが出来ました。この変化が転職したい気持ちを後押しするひとつになったと考えています。
私は高校入学以降、「自分自身」を「出来ないやつ」と捉えるようになっていました。
中学までは生徒会長を務めたり学内の成績もトップクラスでどちらかというと「出来るやつ」と捉えていた私が、なぜそう捉えるようになってしまったのか。
理由の1つとして「偏差値教育の弊害」があると感じています。
偏差値教育には「同じレベルの人が集まり、より高いレベルで切磋琢磨が出来る」というメリットもありますが、「一定数の人が自信をなくす」というデメリットもあります。現に私がそのひとりだったわけです。
中学の夏期講習以降の猛勉強により偏差値70以上の高校に奇しくも入学した私は高校入学後の数か月で思い知りました。「ここは日本中の『生徒会長』や『学内成績トップクラス』のやつが集まっているのだ」と。何なら「天才」と呼ぶべき生徒も同じクラスにいたりするわけです。よくよく考えてみれば当たり前の話ですが、当時はショックを受けた記憶があります。
この世の中の法則には「パレートの法則」というものがあり、ほとんど全てのものは「2:8」に分かれるといいます。
それは公立中学校の中でも「2:8」の構図があり、私立高校の中でも「2:8」の構図が生まれるということです。
「パレートの法則」に当てはめると、私は公立中学校のときには上位2割に入れていたが、私立高校のときには下位8割に入ってしまったということになります。そこから奮起出来ればよかったのかもしれませんが、当の本人からしてみれば同じような人が全体の8割いることなんて分からず、どちらかというと下位2割と感じてしまっていました。そして、そこに安住する道を採ってしまったのです。
安住とは言いつつ留年のレベルも高いためテスト前に必死に勉強していたわけですが、どちらかというとラクな道を選んでいました。ラクな道を選ぶ期間が長くなればなるだけ、自分に対する「自分」や「他人」からの見え方はどんどん「出来ないやつ」になっていくわけです。
唯一の救いは「やる気はあるが、出来ないやつ」だったことで、完全に後ろ向きというわけではなかったことです。
「やる気はある」があったことで、なんだかんだ希望の学部への進学や希望の会社への就職は出来たのかなと思います。
しかしながら「出来ないやつ」という思い込みというのは厄介で、どうしても周りと比べてしまい「自分なんて、、」と捉えてしまい、自分が進みたい道を選択することにビビってしまい保守的になってしまうこともしばしば。
そして大人になり、とある経済セミナーで世の中の仕組みを聞いた際に私は驚きました。
「高度経済成長を支えるためには、品質にバラツキのない高品質な製品を大量に生産する必要があったことから、学校教育によって『マニュアル通りに動く人』を育てる必要があり、そのうちのひとつの施策が『偏差値教育』である。」と講師が仰っていたからです。
本当のところどうなのかを知ることは偏差値教育を生み出した本人以外知る由はありませんが、私にとってはひとつの救いの言葉でした。なぜならパレートの法則に当てはめると上位2割に入り続けた人しか、社会に出た時点で「自信がある人」はいないことが分かったからです。上位2割に入り続ける人の割合というのは、高校で上位2割×大学で上位2割×会社で上位2割なので20%×20%×20%=0.8%であり、逆にいうと99%の人は「自信がない人」なわけです。
99%の人が自信がないなら、自分自身に「自信がない」というのは単なる思い込み。
思い込みであることに気づいたなら、あとは捉え方次第。ということです。
「自信がない」という思い込みを手放し、「ラク」よりも「たのしい」を選べる「自分を大切にした生き方」をしたい!と思うようになりました。
薄々感じていた現職とのすれ違い
現職は大企業ながら「NTT」の冠をつけていて、先進的なことにも取り組む側面はあるのですがどちらかというと保守的な会社でした。就活の際にはその部分に惹かれていたわけですが、価値観は変化するものです。
私は就活時代、「やりがい」と「ワークライフバランス」の両方を求めていました。
両親が共働きだったことや大学時代に父親が愛想をつかされ両親が離婚をしたことをきっかけに、家族を大切にするためのお金・時間の両方が必要だと考えていたためです。
「やりがい」については、大規模な金融システムを担当させていただき、給与も悪くはなく仕事内容としても開発・営業と幅広く経験し非常に貴重な経験をさせていただいたと感じています。しかしながら、最後のPMでは社会的意義としては「現状維持」を目的としたプロジェクトで、重要なことであることは頭では分かっていつつも、どこか委託先メンバのために仕事をしているように感じる部分があり何か違和感があったのも事実です。
「ワークライフバランス」については、テレワークも可能であったり有給もとりやすかったりと有難い環境でした。ただ、一次請けの開発リーダーともなると繁忙期には残業も多かったり、金融システムの特性上システムの変更は休日や夜間対応が必要であり3連休が潰れることも多々。上に上がれば上がるほどより多くの時間を献上しなくてはならないと、お金と時間のトレードオフに限界を感じていました。
「やりがい」と「ワークライフバランス」だけで見れば、この先も無難に現職を続けることも出来たかもしれません。
現職を続けた方が「ラク」ですしね。転職活動する必要も、新しく人間関係を構築することも必要ないので。
ただ私は前述の通り、「ラク」よりも「楽しい」を選ぶ生き方をしたいと思うようになってしまいました。
周りの同僚や上司も「ラク」を選ぶ人の方が大半であったために環境に対しても違和感を感じるようになり、
自分自身が本当に「楽しい!」と感じるものに週5日・1日8時間を使うことにしたわけです。
「楽しい!」と感じそうなものが社内にありそうであればよかったですが、社内公募の資料も見てみたり数人に話を聞いてみたりしても見つからなかったので、今一度自分自身の棚卸しをして新しい会社にチャレンジすることにしました。
シゴデキ新任上司からの言葉
転職の決意を固めさせてくれたのは新しく着任した上司からの言葉たちでした。
もっと担当しているシステムに興味をもってくれる?
「興味」って誰かから強制されて持つものではなく、湧き出てくるものだと思います。
「興味がない」という自覚はありませんでしたが、この言葉をきっかけにその事実に気づくことができました。
「興味がある」=「好きなこと」とすると、好きではないことに人生の多くの時間と精神を費やしているということになります。死ぬまでの限られた時間の使い方として、もったいないなと感じました。
うちの会社は向いてないね
上司とのキャリア面談で、委託先から感じる他人事感について相談をした際の一言でした。一体感を感じることで力をより発揮出来る私にとっては手痛い一言でしたが、私がいる場所はここではない!と感じさせてくれる一言でした。
今回は私が転職を決意するに至っては、やはり自分自身への捉え方の変化が一番大きかった気がします。自信がなかったとしたら、たとえ違和感を感じていたとしても転職活動という冒険にチャレンジすることすら出来なかったと思うからです。もし現職に違和感を感じているのであれば、是非その違和感を大切に、自分自身と向き合う時間をつくってみられることをおすすめします。
転職活動にあたりたまたま私は優秀なエージェントに当たり、面接対策やドキュメント作成等手厚く支援していただきました。優秀なエージェントであればあなたが今まで取り組んできたことをあなた自身も感動するレベルで言語化してくれると思います。
私は、全ての人が個性を活かした生き方をして、それで成立する幸せ溢れる世界になることを願っています。
一緒にそんな未来を歩んでいけたら嬉しいです。今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。